西山達也神父の ”パパ様のコボレ話”

コンベンツアル聖フランシスコ修道会 司祭 西山達也著

西山神父様は現在、長崎県諫早にてご静養中です。

パパ様ご来日の折の日本語教師として知られており、バチカンで恒例の一般謁見における
日本人巡礼団に向けた日本語でのパパ様のスピーチ製作を13年間も続けられました。
パパ様の知られざる素顔をご紹介して下さいます。


  「パパ様のコボレ話・ズッコケ神父、パパさまと出会う!」

こんなズッコケが、枢機卿方でも容易にお会いできないパパさまと出会い、しかも先生とされ
て、なんと13年間もその間柄が続いたとなりますと大げさですが「ただごとではありませんぞ〜
〜」。 事は次のような劇的シナリオに基づいて展開していくのら〜(このあたりから、ら〜なん
て変な言葉を使うのは、正しくはアホのズッコケジャとご安心なさった事でしょう)
 
 まず、「エヘン、1980年、パパ様と劇的な初対面を果たした頃、西山神父はバチカン放送局日
本語課のアナウンサーを勤めさせて頂いていたのです(少しはバカではなく、パーである事が
お分かりかも)。そんな或る日、ではない正確に1980年12月3日の午後、日本語課課長のシス
ター石野が、泡食ったように事務室に飛び込んできました。
 机では、自分の担当である「ローマ案内」のプログラム作りに、西山神父が悪戦苦闘中。
そこへ聞こえてきたのが「神父さま、パパ様が呼んでおられます」とムカつくような事を言う声!
ムカつくのも当たり前でしょう、なんでパパさまが西山などお呼びになります??
ムカついた アホな西山神父:「シスター、人をバカにするのもいい加減にしなよ。なんでパパ
様が私なんかをお呼びになる」 とプンプン。すると石野尼(失礼かな?)さんノタマワク:「本当
です。今から1時間半の内にお出でなさい、と」。 それを聞いて超頭に来たのが西山神父「シス
ター、人をオチョクルのもいい加減にな。パパ様が私なんかに1時間半の内に来いとおっしゃっ
たなんて、バカも休み休み言いなよ。良いかい、パパさまとお会いするにはね、枢機卿さま方
でも1週間前にはアポイントを取ってやっとお会いできるんだよ・・それが何、私に1時間半の内
に来いだと〜」。 西山神父はプログラム作りに四苦八苦しているのに、石野課長の苦しそうな
声が続く「本当なんです!1時間半の内に行かないと私の首が飛びます」。ふと見ると、黒い顔
の首が青ずんで見えた。「何が何やら解らないが、本当かも。。」 大慌てで本部に帰り、スカー
トに着替え(修道服のことで〜す。西山神父に女装の趣味はありません)。バチカン宮殿正門
に着くと、スイス衛兵の「アルト」(止まれ)の鋭い声。「何しに来た?」 と問われても知るもので
すか。
 「名は?」 と聞かれ、西山と申しましたら、連絡帳を調べたスイス衛兵がOKと次に行くべきと
ころへの指示をくれる。「アルト」「アルト」 の連呼の後、30分程で宮殿の控え室なる所へ滑り込
みセーフ。どうやらシスターの首は繋がるかも。。。の安心感も、やがて何処へやら、俄かに震
えが始まった。。。「何故呼ばれたんだろう?」 次にこの宮殿のイスは造りが悪いな、ガタガタ
してる」なんてことはない、自分が勝手に地震を続けていただけなのだ。。。。。。
 やがて側のドアが開き、にこやかな秘書官神父様(現在は大司教)が「どうぞねこちらへ」 と
次の間に招き入れて下さった。次の間などと気安く書きましたが、とんでもない、そこは4人前
のテーブルセットが並ぶ食堂だったのです。「ウへ〜」 と気の動転している西山神父を、秘書
官の神父様は4人掛けのテーブルの手前中央に座るように指示なさったのです。

 何が何???と、頭が真っ白になっている私の前に、何か白いものがスーっとお掛けになっ
た。お顔を見た途端、またも「ウへ〜〜」。 イエス様の地上の代理人、聖ペトロの後継ぎがご
出現なさっているではないか・・・!!!ブルブル・ガクガク。。。汗びっしょり。。。。。。

 舞い上がって高度、天国のチョッと下あたりまで行っている私の耳に、「来年2月に日本に行く
事にしたが、その際、日本語で挨拶の類いを述べたいので教えて欲しい」 と言うさわやかなお
声が聞こえて来た。途端に高度がもう1メートル上がった!だのに高所恐怖症のズッコケ男の
クセに、意外や反撃に出たのである。いきなり言い放って曰く「私はパーでありますからダメざ
あまする、その代わりP師、またはH師、もしくはS師という、それぞれ家柄、学識、信仰、容姿
の4条件申し分ない方々ですね、是非この方々を」と嘆願に及びました。けれど、面白いと思わ
れますのは、実はパパ様も西山神父もイタリアにカムバックして2年目であり、どちらもイタリア
語の取り戻し中で、実に下手だったのであります。(だから通じたのかな?)。この嘆願をじっと
お聞きになっておられたパパ様は、西山神父が汗だくの講演!?を終え、ホッとしていると、こ
う仰った:「2つ質問があるのだけど宜しいかね?」。「ダメ」 なんて言えるものですか。
「1つは、貴方が着ているのはフランシスコ会の服かね?」。 この質問に、何故か舞い上がっ
ている筈の男が、感心にもグタグタとまくし立てたのである(こんな風な言い方あるのかな?)。
「ハイ、確かにフランシスコ会の制服ザ〜マス。そして私は、パパ様がお出でになられたいと仰
った長崎の、福者(当時)コルベのお建てになった修道院で、パパさまと同じポーランド人の司
祭方から教育を受けた者ざ〜ます」。今思えば良くぞクッチャベッタものだ、イタリア語もガタガ
タだったのに。。。ところが、すぐ第2の質問が待っていた「貴方は日本人かね?」。これだけは
流石のズッコケ・パア男も自信を持ってお答えした「ハイ、これだけは間違いございませ〜ん」
と。その次に、おもむろに一語一語かみ締めるようにパパ様の決断が下されたのであります。
西山は当然、推薦し奉った方々のどなたかにお鉢が回るものと信じていたのに、パパ様のご
宣言はこうであった。「今日の出会いは摂理的だね。私は日本語を習うにあたり、日本人なら
誰でも良かったのだが、来てもらった者が、私の尊敬する聖フランシスコと福者コルベと同じ修
道会の会員であり、しかも私が行こうとする長崎の修道院で、私の同胞から教育を受けたとの
ことではないか。明日からは貴方だけで結構、お願いします」 と。
 
 鶴の一声。もう必死にご辞退申し上げたのに、このご決定。戸惑いの内にも不思議な安堵感
がただよったのは何故だろう?これが神のみ摂理と言うものなのかなあ?????
 明日より、食事の時間に勉強を始めるが、後に連絡するとのお達しのもと、生まれて初めて・
神父になっても初めてのパパ様との夕食会を経験しました。。その夕食の味は、パパさまと食
事をご一緒させて頂くという。とてつもない幸運だったのに、その会食第一号についてのメニュ
ーも味もさっぱり覚えていないのは、やはり舞い上がっていたから当然でありましょう。
 
 でも、12日も、つまり12回も経験しますとね流石に厚かましい西山神父も、そろそろメニュ
ーの確認にはいったのであります。例えば、12月15日のご一緒させて頂いた夕食のメニュー
を挙げますと:スパゲッティ・肉のこま切れとナスビの炒め・リンゴ・水(秘書官方のためには、
ブドウや梨・ワイン)でした。ほぼ、毎日このような簡単なもので、これなら、私どもの修道院の
方が平均して豊かである!と感じたものでした。要するに、簡単・質素なものでありました。ほ
ぼ毎日のメニューを西山神父は、コッソリ・シッカリとメモして大事に持っているのであります!
 ですが、フト、「アレ?」と思う事に気が付きました。多分あなたも「アレ?」と思われることを信
じます。その第一は、パパ様が召し上がられる果物の種類が只の1つであること。なんだと思
われます?リンゴ1つ皮を剥き4つ切りにしたのを並べたのが8ケ。8つと書くと多いようです
が、ちいさなリンゴでしたが、これが365日となると、「飽きるのでは?」と西山神父などは心配
したものです。。。なぜリンゴだけなのか?流石に好奇心のかたまりであって「風邪ですか?」
は余計なお世話でしょう。ただ憶測できますのは、ご病気による医師の勧めか、犠牲をなさっ
ているのでは。。。ということです。さらに、一番ビックリしたのは、昼・夕食に、決してスープ類
が一度も出なかったこと。これにはスープ好きの西山神父はびっくらこきましたし弱りました。
何故お召し上がりにならないのでしょう?これは解ります。「エッ、あなたにはお解かりになりま
せん?ニブイナ」 なぜって、パパ様のお身になってごろうじろ。聖ペトロ大聖堂で荘厳ミサをな
さったり謁見場で数万の信者方が見守る中、「チョッと失礼!」トイレに駆け込めますか。。。
  ところで、1980年12月4日から始まり、約2ヶ月半続いた勉強の様子は、どのようなもの
でありましたでしょう?もしも、このお勉強のやり方と言いますかね次第を、前もって信者の皆
さんにお伝え出来ていれば、どんなに日本人の心を感動させたことでありましょう。それをしな
かったのはイカンド〜。

 まず、祈り。続いてパパ様が始まりの合図であるように、スプーンで一口何かにお口をお付
けになる。。。次が大変!!!「時間がもったいない!」と食器類すべてを脇にお寄せにな
る。。。西山神父も慌てて、しかし眼は美味しそうに味わっておられる秘書官方の口を追いなが
らも、「ハイ」と、口だけは達者(これは終生変わりそうにありません〜)同じように皿類を脇に
押し退けたのであります。 この、毎日食事を一食はご犠牲なされたことと、お祈りが、日本で
のパパ様の福音宣教の実りの秘密なのです。それにしても現代に教皇という大変な使命に召
されると言うのは、普通の人には出来っこない!

 こうして、ざっと2ヶ月半、私も毎日すきっ腹で修道院に帰りましたが、空腹だったのはパパ様
とて同じだった筈です。 この「共に犠牲を捧げた」ということが、パパ様には大きなお喜びの元
となったようで、以後、日本に帰るまでの13年間、みなさんは信じて下さらないと思いますが、
まるで息子のように報いて下さいました。(どうぞ附録の写真でご覧下さい。約200枚もあるので
〜す) 
 そこで、日本語の勉強ですが、さすが天才のパパ様でも「オハヨウゴザイマス」 「サヨナラ」な
どの言葉を発音なさるにしても、私達がよく知っている、外人たちのイントーネーションやアクセ
ントと同じで、時として思わず「ブッ」と噴出すようなこともありました。(失礼な奴ですが、笑いを
我慢するのはむつかしいでっせ〜)。

 初めは笑わして下さっていたパパ様が、10日もしない内に、突如、大宣言をなさった。
「日本語は、そんなに難しくないね。これなら、ついでに日本で英語ではなく、日本語でスピーチ
もミサもしよう」と。泡を喰い慌てたのは西山神父。だから最初にお断りしたでしょ、約束が違い
ますと抗議申し上げたのですが「イイエ、アナタガヤリナサイ」で、またまた鶴の二声目が響い
た。。。日本にお出でになるご予定はなかったことから、ローマ字のミサ典書など取り寄せてな
く、仕方ないので、下手な汚い字でローマ字による日本語ミサ典書が完成したのであります。
下手で汚いと呆れ恥ずかしい限りのこのミサ典書が、今では西山神父にとって、大切なパパ様
の遺物なのであります。 パパ様が1ヶ月近く、毎日チャペルとお部屋・食堂へとお抱えになっ
ておられた物なのですから!!!
 も1つ、西山神父がパパ様の遺物と考えている物があるのをお教えしましょうか?
それは貴方が長崎・聖母の騎士の{コルベ資料館}に足を運ばれるならご覧になる事ができま
す何かと申しますと、パパ様が日本においでになった時におかぶりになられていた白い小帽子
です。日本ばかりでなく、聖ペトロ広場での狙撃事件の際にも、ご入院中もと、ずっとご使用に
なられた物なのです。どうして頂いたかと申しますと、エレベーターの中で、パパさまとたった2
人になりました時、勇を鼓してお願いした結果のものです。一番沢山頂きましたのは、パパ様
が祝福なさったロザリオ。

 この日本語ミサ典書を作成するにあたり、1語1語にラテン語訳をつけました所、パパ様が驚
かれたこと! このアホンダラの西山神父がラテン語を知っているなんて!
 ここで、私達にラテン語をたたき込んで下さったポーランド人のヤノ神父さまに感謝。
このラテン語をひけらかしたのが、またまた次のステップへと進むことになるのです。。。

 さあ、こうして日本語によるミサにもご自信がおつきになられたものと見え、1ヶ月程しますと、
「ローマ在住の日本人を、毎日呼び集めなさい」となりました。さあ、大変ローマには、カトリック
信者の日本人が少ない。かろうじてシスター方が20人程おられたので、毎日10人程が交代で
出席し、パパ様の日本語ミサの効き目のほどを確かめました。どの日本人もパパ様の日本語
の上達振りに驚いていましたが。が、ここにもう1つミステリーが加わる!! それは、パパ様
の日本語ミサに出席された方々が、どなたも、その素晴らしさの程を日本の方々に知らせなか
ったこと。。。(ワカラン)。

 さてパパ様が日本語をお勉強なさるに当たり、驚くようなお言葉を述べられた事を貴方にご
紹介しましょう。それは、まず以後のミサ・スピーチへとつづくのですが、「私はオウムのよう
に、ただ口を動かすだけではありたくない。すべてを解っていて言いたい。だから、一言一言に
訳を付けなさい」。「私は日本人と日本語をバカにしたくない」
 
しかも、この「日本に敬意を表する」というお心、面白い事に、西山神父がアメリカの警察に
「教皇殺人刺客容疑」で逮捕という喜劇にまで発展するのです〜?

 先にお話しましたように、パパ様の日本行きはご計画にないことでしたので、パパ様は寒い
日本の2月に備え、コートをお持ちではありませんでした。そう、日本でお召しになられていたあ
の白いコート。それをグアム島まで持参したのが運の尽き。逮捕となったのですが、そもそもの
キッカケは、パパ様の日本への敬意から出たものなのだと言いましたように、話はこうなので
す。。。グアム島から日本までは飛行機で2時間ある、その間に日本語を完成させたい。と仰
せられ、西山神父に「グアム島に来て待っておるように」とご命令なさったのでざ〜ます。

最初の方で、パパ様の日本旅行は予定外であったと述べましたことを覚えてますか?つい、さ
っきですよ。 1981年2月22日、パパ様のアメリカ司牧訪問の最終ステップはグアム島でした。
グアムから2時間の所に日本がある。
 パパ様のお若いときからの夢は、聖マキシミリアノ・コルベ神父の跡を巡礼される事でした。
ところが、その夢が果たせないままに教皇になられた。。。ますます夢は遠ざかる。
そこに起きたのがアメリカご訪問。しかし最後は日本まで飛行機なら2時間のグアム島!
 
 パパ様が、やったあ、と思われたか、占めたとお考えになられたか知る由もありませんが
「日本行きのチャンス」とご決断なさったのは確かです。ところが、突然のご決定であったことか
ら、事前に旅行のスケジュール、随行員の名前、数などが数ヶ月前からアメリカの当局には連
絡済みなのに、西山なる名前は無い。しかるにこの男は神父だと称している上に身分証明証
を5つ。しかも法王のコートなるものも所持している!! 怪しい!! となりましたのも、うべな
るかなでしょう。あらゆるものを用意しているから暗殺容疑者としてグアム島警察署に、そうで
すね、約4時間ほども軟禁されていたでしょうか、やがて空港に飛行機が到着した途端、「そ
れ、犯人逮捕」と空港に警察は問い合わせに。。。
 犯人確保になるかも。。。の期待に胸ふくらましたアメリカのポリスさんたちが、空港に電話す
る前に、グアム島の司教さまに電話したのがまずかった。と言う訳は、西山神父がグアム島空
港に到着した時、たまたま司教様がパパ様がお出でになるので、来客を迎えに来ておられた。
当然「司教さま、今晩司教館でお世話になります」と申し上げたところ、「ああ、後ほどね」と仰
ったので、グアム島の「司教さまもご存知のことです」と警察に述べたので、問い合わせをした
ところ「そんな奴は知らない」と言われたので、80%教皇暗殺犯とかたまったので、あと1歩と勇
んで空港に「このような変な奴が教皇のコートとやらを持参して来て居るが、果たして本物かど
うか?」。 答えは当然白ですよね。あわてたのはグアム島警察。しきりに謝ったあげく、警察
のフリーパスなるものを襟元に取り付けてくれた。 とたんに、どうでしょう! どこに行っても今
までブロックしてた連中が(なんたる教養のなさたる言葉よ!) 、襟元の本当に小さなバッチ
にも拘らず、全く知らん顔! 「これが目に入らぬか?」 とやりたかったのにダメ。。。

 釈放されて、パパ様のもとへご挨拶に伺うと、丁度ご夕食が始まったばかりの所でした。
私の顔をご覧になるなり、私が警察に逮捕されたことが、すでにお耳に達していたと見え
 「オオ〜グアム島の殉教者!」 とニコッとおっしゃる! 以後、随行員の間では暫く、このパ
パ様がお付けになったニックネームが飛び交ったのでありま〜す。

 さて、その翌日がパパ様のお人柄の出番! 西山神父が、なぜ、わざわざグアム島まで旅
行させて頂いたかという次第を繰り返しますと、それはパパ様が日本に対する敬意から、わず
か2時間の飛行の間に、日本語を完成させたいがためでありました。
 だのに、どうでしょう? この素晴らしい目的のためにこそ送られた筈の西山神父が、ことも
あろうにパパ様の真正面で、日本に到着するまで、ずっと眠りこけていたのであります!!
なんという大胆不敵さ! 、いや、むしろ失礼極まりない奴め! どんな暴言を並べてもおかし
くない程の無礼者であります。 ところが、西山神父が監獄で疲れたであろうとお考えになられ
たパパ様は、その完成の補佐役がボサ役として眠っているのを、一度として揺り動かされませ
んでした。。。すご〜い度量と優しさ!!! それにしても、パパ様の、まん前で寝れる奴も
エエドリョウだと思いません〜!? いや、あきれ返って物も言えませんよね。 恐らく人類の
歴史始まって以来の快挙、いや怪虚でありましょう。

 パパ様のお人柄のお優しさと言うものは、13年間も親しく接しさせて頂いた者としましては、
枚挙に暇がないと言う表現がピッタリ。 こんな日本語を初めて使〜った!
 眠りコケのズッコケ男が、羽田空港から東京カテドラル(司教座聖堂)にパパ様に先駆けて随
行員一同と到着してオッドロイタ! マスコミのカメラ・テレビの放列のすざましかったこと!
他の随行員は、パパさまと世界のあちこちに随行し、充分に慣れてござるが、田舎っぺの西山
神父は、おったまげてカテドラルの奥に逃げ込んでいた。
 感心にも、パパ様の身辺警備のため、空っぽになったカテドラルでロザリオを祈っていたとこ
ろ、急に秘書官のチビス神父様が入ってこられ「おい、パパ様が貴方を探しておられる。すぐ
来いとのことだ」 とおっしゃる。




                       つづく


パパ様のコボレ話〜No.2
パパ様のコボレ話〜No.2



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